「ちゃんと」に苦しんだ私

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「ちゃんと!」に苦しんだ私


自分と向き合ってこの言葉に
とても引っかかっていた
ことに気付いた

 

「ちゃんとして!」

 

私は結構ドジが多く
更には勘違いも多い
そして忘れモノも多い
結構ガサツ・・・

 

こうなるといわゆる

「ちゃんと」

という言葉からズレていることが
日々の生活で多くて
いっとき私は発達障害なのかな?と
調べたこともある(笑)

 

ちゃんとできてる人からの
厳しい「ちゃんとして!」に
囚われるようになっていた

とくに母親として、妻としてって

ところに引っ掛かりました

 

ちゃんとしていない私=駄目なんだ

 

という偏った図式が無意識に
できあがって刷り込まれて

しまっていたと今は思う

 

ちゃんとすることが
価値があることなんだって

 

ちゃんとできてない私は価値がない=
だからがんばらないといけない!

 

なんということ!!

 

常に自分で自分を「ちゃんとしていないか」

見張っている状態

周りを異様に気にするように

なり自分らしさがどんどん

失われていった

 

今、それから外れることが
できてなんとも苦しい世界で
生きていたんだなぁ・・・
と唖然・・。

自分で勝手にしてたんだけどね


そうじゃないよね

 

ちゃんとすることは悪いことじゃない
でも行き過ぎる”ちゃんとして”は
ときに正論という凶器になる気が
してならない

 

本来の人の生きる目的は
楽しむことだったり、喜びだったり
気分よく穏やかに過ごすことだと私は思う
ちゃんとすることが目的じゃない

 

ちゃんとしなくてはいけない
じゃなくて
ちゃんとしたほうがいい

たまにはボケったってドジしたって

いいじゃない

笑いや緩みが生まれるもの

 

ぐらいにしておかないと生きづらい!!
ちゃんとの基準なんて育った環境で
本当に人それぞれ

 

好きなこと、やりたいことに夢中に
なれるようになったら
自然とその時間を確保してくなるから
ちゃんとしてやらなくちゃ
いけないことを自発的にさっさと
終わらせるようような気もする

 

「ちゃんと」の呪縛に自分でかかって首を
しめていたのは自分

 

でも細胞レベルの深いところで
気付いたから自分で外すこともできる

気づいたとき涙がばぁーーって

あふれてきた、自分で自分を

癒せたのだと思う

 

「ちゃんと」に囚われなくなったら
いわゆるちゃんとがキーになって
言われる指摘に反応しなくなってきた!

 

だってそこに価値をおいてないから♪
楽ーーー!!!

不十分だと思うことがあったのなら
そこを対処するだけ、シンプルになった

 

そこに「自分は駄目、価値がない」と
いう変な解釈はひっかけない!

 


もう一つ
このことを思って感じたこと

 

子供のころに母親に「ちゃんと!」を
必要以上に叩き込まれて育てられたら
どうなるんだろう・・

 

私は結婚して母となり
やることが自分以外にいっぱいになって
からこの囚われにはまった

 

子供はお母さんが絶対の時代がある
そのお母さんのいうことに答えれたら
きついけどまだいい


でもその子供はずっとがんばって
いなくてはいけないという恐れを
持つことになるんじゃいかな

 

タイプできに答えられない子も
いるだろう

 

そうなると自分への刷り込みが
自分は駄目なんだ・・・
になりかねない


大人の私も相当きつかったから

子供時代はそれを自分でとる術もない
根は深いなぁ

 

だから癒す人が必要になるんだろう